廃墟
2019年10月22日 10:40
2019年10月09日 00:46
✴︎埼玉県秩父にあるニッチツ鉱山に向かう前に最低限チェックしておいてほしい道路状況確認サイトのリンクを下に書いておきます。
今回はこちらに行こうかなと思っていたのですが、地図で調べていたらもう一つ興味深い集落が…。
その名も小倉沢集落、別名ニッチツ社宅群。
まずニッチツというのは今も現存する会社で、その中の資源開発事業の部門が特に秩父鉱山と関係が深く、採掘・加工・販売まで手掛けています。
一昔前までこの事業に従事する方が、この鉱山の近辺にはたくさん居住していました。
その人たちが暮らした社宅や物品販売所(プチスーパー)、銭湯、集会所、映画館、学校等が廃墟となって立ち並んでいる。そんな場所がニッチツ鉱山廃墟群です。
さて、さっそく向かおうと思ったのですが、グーグルのレビューや今年に入って実際に行ってみたという人がちらほら「通行止めで炭鉱まで行けなかった」と書いていました。
それで、この通行止めってどこなのかと突き詰めると、
どうも「出合トンネル」というところのようです。
これです↓

ここはトンネルの崩落や土砂崩れや雨などで閉鎖されやすく、ここを通らない場合、埼玉県秩父郡小鹿野町国道299号線の志賀坂トンネル入口付近から森林管理道金山志賀坂線を経由するのですが、こっちも土砂で通行止めのためお手上げになってしまいます。
これが「鉱山いけねぇーじゃん!」の全容となります。
実際、何時間も廃墟目指してやってきて近寄れなかったら、かなり痛手ですよね。
ということで、お出かけ前にこれだけは確認してください。
http://www.chichibu.ne.jp/~furemori/michijyouhou.htm
このページの下側 車道情報
県道210号線中津川三峰口停車場線
(出合トンネル~ニッチツ鉱山入口)
ここが通行可能かどうかが重要です。
(トンネルのコンディションや雨、土砂災害の恐れで閉鎖になります)
動画もぜひ!(簡易郵便局(閉鎖)〜第一倉庫まで撮影↓
2019年05月26日 07:21
2019年05月24日 08:25
群馬の安中市にめがね橋と呼ばれる観光スポットがあります。

ここは正確には鉄道橋で、信越本線横川―軽井沢間に存在しています。
1891年に着工、1万5千人の人員を投入することで、わずか1年半で完成し、1963年に新しい橋が架かるまで、鉄道が走っていました。
使われているレンガは200万を数え、これだけ大規模なレンガ造りの橋は国内でも数えるほどしかありません。
駐車場はめがね橋のすぐそばに一か所と、軽井沢方面に進んだ地点(徒歩10分弱)に一か所確認できました。
訪ねたのがお盆だったため、10台程度しか止められない直近の駐車場は満車でした。
一応バス停がありますが、本数は絞られています。
長野と群馬を結ぶ路線、これによって大量の生糸の輸送が可能になりました。
化学繊維が衣服の主流となった現代の感覚からすると、生糸は地味な存在に思われますが、1909年頃、生糸は日本が世界最高の輸出量を誇っていました。
これによって得た大量の外貨(生糸を売って外国から得たお金)で機械を買うことで、日本は急速に工業化、近代化することが出来ました。
この辺を理解すると富岡製糸場が日本の歴史で重要な役割を担っていたということはもちろん、世界に与えた影響からして、世界遺産にふさわしい場所であることがわかります。

さて、古くは中山道と呼ばれた国道18号を挟んでめがね橋を見上げます。
山の中でこれだけ大きな人工物を見ると圧倒されてしまいます。
アーチをくぐって橋の裏手に回り、5分ほどかけて階段を上ると橋の上に出ます。
下を流れる川から測ると高さは31メートル、そのため見晴らしも当然いいです。

すこし向こうに新線が見えます。

長野新幹線が開通したので、今は列車は走っていません。
それまでは横川―軽井沢間を結ぶ鉄道橋でした。

いよいよトンネルです。
お盆のシーズンなので他に観光客がいましたが、一人で歩くと暗くて涼しいので、
独特の雰囲気があります。
天井からは水が滴っています。
当時このトンネルを通った列車の動力は蒸気機関でした。
しかもこの急な勾配です。現代とは違い列車の速度はおそろしく遅く、時速8キロ程度でした。
つまり人が早足で歩いているのと変わらない速度です。
壁と壁の間は、徒歩で歩いていればこそ、それほど圧迫感はありませんが、
燃え盛るボイラーを抱えて黒煙を噴き上げる列車で人の歩く速さと変わらない速度で
入ったとしたらどうでしょう。
夏場は恐ろしく熱いはずですし、季節を問わず肺に入り込もうとする煙に悩まされたはずです。
いくつかトンネルを抜けると、碓氷湖のビューポイントに到着します。

こちらは人造湖(ダム)です。赤い橋が映えますね。
この先に進むと横川駅や鉄道文化村がありますが、暑いので引き返しました。
私たちは観光で気楽にこの地を訪れています。
当時ここを列車で通過した機関士や、この橋の建設に携わった方たちは、
死と隣り合わせの毎日だったと思います。
実際、横川駅には橋の建設に従事している最中に命を落とした方たちを慰霊する
石碑が置かれています。
彼らの流したおびただしい汗と尊い人命の上に今の近代化した日本の生活があることを
忘れてはいけませんね。


ここは正確には鉄道橋で、信越本線横川―軽井沢間に存在しています。
1891年に着工、1万5千人の人員を投入することで、わずか1年半で完成し、1963年に新しい橋が架かるまで、鉄道が走っていました。
使われているレンガは200万を数え、これだけ大規模なレンガ造りの橋は国内でも数えるほどしかありません。
駐車場はめがね橋のすぐそばに一か所と、軽井沢方面に進んだ地点(徒歩10分弱)に一か所確認できました。
訪ねたのがお盆だったため、10台程度しか止められない直近の駐車場は満車でした。
一応バス停がありますが、本数は絞られています。
長野と群馬を結ぶ路線、これによって大量の生糸の輸送が可能になりました。
化学繊維が衣服の主流となった現代の感覚からすると、生糸は地味な存在に思われますが、1909年頃、生糸は日本が世界最高の輸出量を誇っていました。
これによって得た大量の外貨(生糸を売って外国から得たお金)で機械を買うことで、日本は急速に工業化、近代化することが出来ました。
この辺を理解すると富岡製糸場が日本の歴史で重要な役割を担っていたということはもちろん、世界に与えた影響からして、世界遺産にふさわしい場所であることがわかります。

さて、古くは中山道と呼ばれた国道18号を挟んでめがね橋を見上げます。
山の中でこれだけ大きな人工物を見ると圧倒されてしまいます。
アーチをくぐって橋の裏手に回り、5分ほどかけて階段を上ると橋の上に出ます。
下を流れる川から測ると高さは31メートル、そのため見晴らしも当然いいです。

すこし向こうに新線が見えます。

長野新幹線が開通したので、今は列車は走っていません。
それまでは横川―軽井沢間を結ぶ鉄道橋でした。

お盆のシーズンなので他に観光客がいましたが、一人で歩くと暗くて涼しいので、
独特の雰囲気があります。
天井からは水が滴っています。
当時このトンネルを通った列車の動力は蒸気機関でした。
しかもこの急な勾配です。現代とは違い列車の速度はおそろしく遅く、時速8キロ程度でした。
つまり人が早足で歩いているのと変わらない速度です。
壁と壁の間は、徒歩で歩いていればこそ、それほど圧迫感はありませんが、
燃え盛るボイラーを抱えて黒煙を噴き上げる列車で人の歩く速さと変わらない速度で
入ったとしたらどうでしょう。
夏場は恐ろしく熱いはずですし、季節を問わず肺に入り込もうとする煙に悩まされたはずです。
いくつかトンネルを抜けると、碓氷湖のビューポイントに到着します。

こちらは人造湖(ダム)です。赤い橋が映えますね。
この先に進むと横川駅や鉄道文化村がありますが、暑いので引き返しました。
私たちは観光で気楽にこの地を訪れています。
当時ここを列車で通過した機関士や、この橋の建設に携わった方たちは、
死と隣り合わせの毎日だったと思います。
実際、横川駅には橋の建設に従事している最中に命を落とした方たちを慰霊する
石碑が置かれています。
彼らの流したおびただしい汗と尊い人命の上に今の近代化した日本の生活があることを
忘れてはいけませんね。

2017-8